クリケットの歴史を軽く触れる

半分程度は「世界のスポーツ3 ヨーロッパII」からの引用です。

目次

もとは民衆のゲームだった

クリケットの起源はよく分かっていません。ヨーロッパでは古くから、木の棒などでボールを打つゲームが行われており、クリケットはそれがもとになっていると考えられています。

Wikipediaより

13〜14世紀にかけての絵画には、クリケットに似たボールゲームをする人達が描かれており、このゲームが民衆の間で行われていたことがわかります。

クリケットの語源

クリケットの語源は様々な諸説があります。古英語で松葉杖を意味する「cryce」があり、古フランス語でスティックのようなものを意味する「crriquet」。または中期オランダ語の「krickstoel」などあります。

貴族のスポーツとして発展

社会学者のデレク・バーリーによると、1660年ごろにはイギリスでは「王政復古後のスポーツとして大盛りあがり」であった。イギリスでは競馬とともに、ギャンブルの対象として、クリケットが大きく盛り上がっていたそうです。この時期にはアマチュアプレーヤーが増え続け、イギリスの主要なスポーツとして定着していました。クリケットはイギリス全土に伝わり、更に船員や植民者によって、海外へ持ち出されました。海外での初の試合は1676年ごろだと言われています。

wikipediaより

18世紀に入ると、クリケットは大きな発展を遂げて、イギリスの国技となりました。更にイギリスの貴族がクリケットを楽しむようになりました。

貴族たちは、自分たちがクリケットをプレーするだけではなく、お金を投じてクリケットクラブも作りました。クリケットクラブが急速に増え続け、19世紀に入るとプロでプレーする選手も増えてきました。

19世紀頃には、貴族の子供が通う名門校でもクリケットが盛んに行われるようになり、「上流階級のスポーツ」として定着していきました。

18世紀に統一ルールができる

はじめの頃のクリケットの規則は、地域によって様々だったが、貴族同士の交流試合が増えることによって、共通した規則を作る必要が出てきました。そのため、18世紀後半に統一規則が定められ、これが現在の規則のもととなっています。

19世紀にはプロのクリケットチームが誕生し、クリケットはイギリス全土で共通したルールで楽しまれるようになりました。

イギリスの植民地を中心に広がる

wikipediaより

17世紀から20世紀中頃にかけて、イギリスは海外に多くの植民地を持っていました。クリケットはイギリス以外にも広がり、イギリスと関係の深い地域に伝わり、国を超えて様々な人々の間で行われるようになります。

19世紀中頃には、オーストラリア、ニュージーランド、カリブ海(西インド諸島)、インド、南アフリカ、北アメリカに広まっていきました。1844年にアメリカとカナダの間で初の国際試合が行われ、1859年にはイギリス人の選抜チームによるツアーが初めて行われました。

1876年から77年にかけて、イングランド代表は、オーストラリアのメルボルンクリケットスタジアムで、史上初のテストマッチが行われたと言われております。1882年にはイングランド-オーストラリアのシリーズは「ジ・アッシズ」という定期シリーズが行われるようになり、世界で一番有名なシリーズとして知り渡っています。

テストクリケットは、1888年から89年にかけて、イングランド-南アフリカのテストマッチシリーズも始まりました。

ICCの誕生

19世紀の後半から、国対抗の試合などが活発に行われるようになりました。1909年にイギリス、オーストラリア、南アフリカの3カ国によって、クリケットの国際試合をまとめる「国際クリケット評議会(ICC)」が設立されました。

その後、ICCの加盟国は、イギリス連邦諸国を中心に増え続けています。現在、最も格式のあるテストマッチに参加できるICCの「フルメンバー」は、初期の3カ国に合わせ、ニュージーランド、西インド諸島、インド、パキスタン、スリランカ、バングラデシュ、ジンバブエ、アイルランド、アフガニスタンの12カ国が加盟しています。

リミテッドオーバークリケットの登場

伝統のテストマッチは、試合時間がとても長く、最大で5日間行われるものでした。しかし、1950年代に入ると、クリケット大国のインドで、最大球数が設定されているリミテッドオーバークリケットが行われるようになったようです。この形式により、クリケットは1日で決着がつくようになりました。

1962年に入ると、イングランドでもクリケットが行われました。最初は65オーバー以上でしたが、60オーバーと減り続け、現在では50オーバーの「ワン・デイ・インターナショナル(ODI)」として定着するようになりました。

更に1971年には、4年に1度の「クリケットワールドカップ」が、ODI形式で行われるようになりました。様々な色のユニフォームでプレーされた華やかな大会になりました。第1回大会は西インド諸島が優勝しました。

短時間決着のトゥエンティ20の登場

wikipediaより

長い伝統を誇るクリケットも、2000年代に入ると人気が低迷。観客動員数が減少し、スポンサー収益も減っているクリケットは、ODI方式でも「試合時間が長く、現代人の生活スタイルに合わない」と言われるようになりました。

クリケット界の窮地を救うために、2003年にイングランドおよびウェールズクリケット協会が、短時間で終わる20オーバー制の新しいクリケット「トゥエンティ20」を開発しました。

この試合方式により、クリケットの1試合の時間は、約3時間で終わるようになり、サッカーやバスケットボール、ラグビーなど、他の人気のあるスポーツに近い試合時間で行われるようになりました。スピーディーなゲーム展開と迫力のあるバッティングなどで人気を博し、スタジアムに集まる観客やテレビ視聴者にとって魅力的なコンテンツとなりました。

T20は世界中に広がり、世界各国ではT20での国内リーグ戦が行われるようになりました。インディアン・プレミアリーグ(インド)、パキスタン・スーパーリーグ(パキスタン)、カリビアン・プレミアリーグ(西インド諸島)、ビッグバッシュリーグ(オーストラリア)など多くの国で開催されています。

2007年からは、2年に1度のT20Iクリケットワールドカップが南アフリカで開催されています。T20の普及により、クリケットの伝統国以外にも広がり、現在はクリケットがマイナーな国である日本でも徐々に活発な動きを見せるようになっています。

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