概要
所在地 | ロンドン・セントジョーンズウッド |
建築 | 1819年 |
収容人数 | 31,000人 |
愛称 | The Home Of Cricket |
所有者 | メリルボーン・クリケット・クラブ |
テナント | イングランド&ウェールズクリケット協会 |
最初のテスト | 1884年7月21日~23日 イングランド-オーストラリア |
最初のODI | 1972年8月26日 イングランド-オーストラリア |
最初のT20I | 2009年6月5日 イングランド-オランダ |
最初のWODI | 1976年8月4日 イングランド-インド |
使用チーム | メリルボーン・クリケット・クラブ(1814~) ミドルセックス(1877~) |
クリケットの聖地「ローズ(Lord’s)」
1,914年にイングランド・ロンドンのセントジョーンズウッドに建設されてから、200年以上の歴史を誇ります。
創設者のトーマス・ロードにちなんで名づけられ、メリルボーン・クリケット・クラブ(MCC)が保有しています。2005年までは国際クリケット評議会(ICC)の本拠地が置かれ、現在はイングランド&ウェールズクリケット委員会(ECB)と、欧州クリケット評議会の本拠地があります。
そして、ローズには世界最古のスポーツ博物館「MCCミュージアム」があります。「ジ・アッシズ」をはじめに、著名のクリケットの記念品が展示しています。同施設にはクリケットにちなんだ書籍を中心に集めた図書館があり、3万冊が保管しています。
歴史
18世紀からロンドンでは、ホワイト・コンジット・フィールドというグラウンドを使用していたが、ファショナブルなオックスフォードストリートやウエストエンドに離れているため、新しいグラウンドが建設されることになりました。
メリルボーン・クリケット・クラブは、1813年にセントジョーンズウッドで土地を購入すると、1813年~1814年の間で酒場と木製のバビリオン(更衣室)が建設されました。そして、1814年7月にメリルボーン・クリケット・クラブとセントジョーンズウッドクリケットクラブが、ローズで初試合を行いました。
1860年~1870年の間、名門校のイートン校やハロー校の試合や、オックスフォード大学とケンブリッジ大学の試合、そして上流階級のアマチュア選手や、プロクリケッターの試合が開催されていました。クリケットの試合が盛り上がるたびに、ローズは増築を繰り返し、1874年には4000人終了の客席を設置し、新しいロッジや厩舎、倉庫が建設されました。
1878年にオーストラリア代表が訪れ、ローズで試合を行い、オーストラリアがイングランドに勝利し、両国間のライバル関係が確立されていきました。1884年には世界最古のテストマッチ「ジ・アッシズ(The Ashes)」が開催され、ローズは、ジ・オーバル、オールドトラッフォードとともに試合が開催されました。
1909年には、イングランド、オーストラリア、南アフリカの3ヵ国で、ICCの前身となる「インペリアル・クリケット・カンファレンス」が設立され、ローズが本拠地になりました。
第一次世界大戦時には陸軍により接収され領土軍、医療団、王立兵站部隊に使用されました。その当時、ローズでは陸軍関係者によるクリケットの試合や、各植民地から招かれた軍のチームがクリケットの試合を行いました。
第二次世界大戦では、陸軍による接収は行われなかったものの、ドイツ軍による空爆により、焼夷弾によりバビリオンの屋根が焼け落ちました。その後、ドイツによって開発されたV-1ロケットの脅威に晒され、ローズに設置してあった時間の精霊像に着弾する被害を被りました。
第二次大戦後、オーストラリアとの「ジ・アッシズ」シリーズにより、クリケットは人気になり、シリーズ全体で13万人の観客を動員しました。その収益により、1958年にワーナースタンドが建設され、スナックバー、プレスボックスが建設されました。
1972年に1日で試合が終わる方式の「ワン・デイ・インターナショナル」の試合がローズで行われ、その3年後の1975年には初となるクリケットワールドカップが開催。決勝はローズで行われ、オーストラリアを破った西インド諸島が初代チャンピオンになりました。
1990年代よりローズはさらなる改築を行い、1999年にはコメンテーターなどが使用するメディアセンターを建築。21世紀に入り、スタンドを31000席に、照明は仮設投光器を撤去し、新たに格納式のフラッドライトが導入されました。
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